産経新聞平成16年10月06日掲載 え〜美タミン NO.1

「あれが地獄の入り口だった」

今から約十五年前、二十代後半の、アートとは全く無縁だった、それはそれは寒い夕暮れのことでした。
部屋の模様替えをしようとインテリアをツテで安く購入し、サブガル雑誌から飛び出してきたような部屋に!
−をスローガンに、リフォームしていました。

「うん!いい感じになってきた。けど白い壁が寂しいなぁ〜あっ、絵を飾ろう」
私はくそ寒い中、ありったけの現金を握り締め、家を出ました。「よし絵を買いにいくぞ!がしかし、
どこに買いにいけばいいんやろう???」。申し遅れましたが、私は超見切り発車大魔王でございます。
まっ、とりあえず心斎橋の画材をいっぱい売っている文具店へ向かいました。

そのお店には美術館でしか見たことのないような(うそです、この時点では美術館には一回も行ったことありません)
絵やポスターが並び、私の計画にはもってこいの空間で、胸が躍り、ワクワクしてきました
(うそです。わけもわからず、買い物客にビギナーとばれないかとドキドキしてました)。
そのときです、ブルーとグリーンが鮮やかな水彩の風景画ポスターが目に飛び込んできたのは。
「うん!これだ!」私は購入して帰宅し、壁にかけてみました。「よしこれで超カッチョイイ部屋に大変身・・・?
あらっ、何かが違う!?これじゃ安モンのラブホテルみたいやなぁ」次の日、再びそのお店へと行き、
必死で別の絵を探しました。そして階段で二階へ着いた瞬間、切れのある線、駆け抜ける赤ー。
半信半疑のまま帰宅し、その抽象画を掛けてみました。

すると、今まで主張していなかった部屋が自己主張しだしたのです。
「そうか、バランスなんや。この部屋のものすべてがこの抽象画によって生かされてくる!
まさに、しくじりは成功の肥やし、失敗を恐れるより動け、やなぁ。
けどこの絵の下の隅に鉛筆で書かれてる{18/50}って何やろ?明日調べてみよ!」。

それからが抜け出すことの出来ない美術地獄の始まりでした。